チャールズリバーをわたって 第2話

 

「チャールズリバーのほとりで」は、

過去に同名の著書があることが

わかりましたので「チャールズリバー

をわたって」に変更させていただき

ました。

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「こっ、これは◎×%$*#駅までいっ、

いきますか? うーっ・・・、ぐーっ・・・」

発車寸前、両側から閉まる扉に、頭

と左肩半分をひどく挟まれたままで

男の人が顔をゆがめながら声を搾り

出すように聞いてきた。

 

いつものようにチラッと横目でマリオ

ットホテルを見上げながらケンドール

駅入り口前の道路を小走りで渡る。

この駅は学校の敷地に隣接していて

学校内病院をくぐりぬけるとすぐ目の

前だ。  今日はハーバードへも、

ポーターへも用事がないのでパーク

ストリート駅方面のホームに下りる。

ちょっと前までは、改札で使うトーク

ンをいちいち財布から出しながら階

段をぎこちなく降りたものだが、この

間、人から定期の存在を聞いて買っ

たので少し余裕がある。

薄暗い地下鉄のホームというもの

はどこの国でも同じようには見える

が、漂っている独特の匂いは少し

違うように感じる。

このレッドラインにもすっかり乗りな

れて特に気にせずホームを間違え

ることはなくなった。 慣れるという

ことも表裏一体で、間違えないよう

にと神経をすり減らすことがなくな

ったのは助かるが、これでまた一

つ新鮮さを失ったとも感じてしまう。

新しいことに対する新鮮味という

ものはかなり貴重だと思う。

一旦なれてしまうと、いくら時間が

経過してももう二度とそれは帰っ

てこない。

 

トンネルの向こうから低音が響き

はじめ、暗闇にヘッドライトが見え

たかと思うと、あっという間に側面

に赤いラインの入ったステンレス

ボディの車両がホームに滑り込ん

でくる。

この時間のケンドールはそう混む

こともなく、車内に入るといつもの

場所に寄りかかり、バッグから本

を取り出す。

「もうそろそろ食べられてしまう

シーンだっけ?」

などと思いながらジュラシック

パークの小説本を開いた。

通学の電車内ではいつも本を

読むようにしている。 どこかで

聞いた英語上達法の一つを実

践しているのだ。 レベルにあ

った小説などをひたすら読み進

めるだけだが、一つだけルール

がある。 わからない英単語が

出てきても調べずわからないま

ま読み続けるのだ。 そしてとに

かく読む。 実はもうひとつ大事

なことがあり、それはわからない

単語を放置してもストーリーをそ

こそこ追って行ける程度の本を

選ぶことだ。 全くストーリーが

わからないまま読み進めることは

かなりの苦痛であろうしそもそも

それでは効果が出ないという。

自分は以前に童話から始め、最近

は過去に見た映画の小説本を読

んでいるところだ。 あらすじが頭

に入っているので、不明の単語が

多少多く出てきてもストーリーを

見失うことがないからだ。

 

ゴゴンゴゴンとロングフェローブリ

ッジを渡るころには路線は地上に

出ていて、もうすぐグリーンライン

に乗り換えのパークストリート駅

だ。

また地下にもぐるパークストリート

駅では、地面の高さのホームから

Cライン行きの車両を見上げて探

す。 ここはグリーンラインの始発

駅なのでDラインなど他の路線行

きの車両も混在しているのだが、

車両の色やデザインが殆んど同じ

なので、行き先とアルファベットを

よく確認しないとあらぬ方向へ連

れて行かれてしまう。

 

会社員の帰宅時間とぶつかった

せいか、停車していたCラインに

乗り込むと車内はやけに混んで

おり、自分は扉前のステップを

上がってすぐのところにやっとス

ペースを見つけた。 もうすぐ発車

時間なのであろう、窓から見える

ホームにはもう誰もいなかった。

そしてそれは、いつものように小説

の続きを読み始めながら、電車が

発車するのを待っていたときだった。

扉が閉まる合図があり、両側から

アコーディオン式に閉まりきる直前、

あわてた様子の一人の男性が走り

こんできて、ぎりぎりのところで体を

扉と扉のわずかな隙間にねじ込ん

だ。 片側の肩と頭を扉で挟みこま

れながら、片手の指先でかろうじて

扉を開けようとしながらあえぐように

その男性は自分を見つめて聞いて

きたのだった。 男性の目的の駅

にこの電車が止まるかどうかを。

 

自分はその切迫した状況にぎょっ

と驚いたと同時に、男性がすがる

ように言い放った駅名を聞き取れ

なかったことでさらに気が動転して

しまった。

他の乗客もこちらを注視する中、

なんと答えようかとうろたえて考え

る時間もないまま、その男性は力

尽きて扉の向こうに締め出され、

電車は何事もなかったかのように

動き始める。

 

窓の外の景色はいつものように

流れていたが、今日の自分はい

つもどおりというわけにはいかな

い。 周囲の乗客はとくにどよめ

く様子もないが自分の頭の中と

気持ちは大混乱である。

 

必死にすがる相手にとっさに何も

できなかった自分の不甲斐なさに

動揺する一方で、どうして答えら

れる可能性の低い外人である自

分に聞いてきたのかと、言い逃れ

のような苦し紛れの疑問が頭を

よぎった。

そうだ、ここはアメリカ。 東洋系の

アメリカ人などいくらだっているし、

学生風のいでたちで肩からラフに

バッグをさげて小説を立ち読みな

どしていれば、誰がまだアメリカに

来て日も浅いリスニングも不確か

な日本人であろうなどと考えるもの

か。

 

日本特有であり、その島国文化と

気質に根ざすところの大きい「外人」

というニュアンス。

そんな自国のカテゴリーに無意識

に逃げ込もうとした自分にはっと気

が付いた。