楽しくてなんぼやねー\(^_^)/

 

 

 

・・・こんな話をすると、きみはなんて

言うかなー。

 

最近おじちゃんはね、

「五感は、もしかすると第六感も、

楽しむために神様が下さったも

のなんだろーなーっ」ってしみじみ

思うんだよ。 で、楽しいって思

えることはそれ自体とても大切な

ことなんだなーって。

それまでは、それはそもそも狩り

をしたり農耕をしたりから始まる

主に動物として食べて行くための

装備(センサー)として重要なんだ

ってなんとなく思っていたんだ。

そう、生きてゆくためだよね、身体

(からだ)が・・・。

でも神様は、人間はそれだけじゃ

生きてゆけないことをご存知なんだよ、

もう半分があるからね、・・・その半分

にもごはんをあげなきゃなんだよ。

 

もちろんそれは、難しい言葉で言うと

「もろ刃の剣」でね、ときとして楽しさ

とは正反対の苦しさの原因にもなっ

てしまう。

なぜって、それのせいで人には欲が

芽生えるからね。

もっとおいしいもの、もっといい香り、

もっといい景色、もっといい音・・・

ってね。

でもそれはみんな無限のものだか

らどこまで追いかけてもたどりつけ

るところというものはないんだよ。

だから苦しさのもとになったりする。

そこを解決しようとして物欲なんかを

とてもわるいことだって、必要以上

に敵視したりするんだよ。

 

歳をとったせいかなー、楽しくなった

理由よりも楽しさ自体が一番なんだ

ってだんだん思うようになったよ。

もちろん無欲にはなれないけれど

ねー(^-^)

むしろ欲があるからこそ生きてい

けるし、楽しさがあるんだって。

なんやおじちゃん、ええとしして

いまごろ気付いたんかいなっ!

って言われそうだね、ハハハー(^_^;

 

じゃー、きみは楽しむこつを知って

いるかな?

それはね、自分の「楽しい感じ」を

大切にすること。 他のお友達が

悲しくならないことに注意したうえ

で主観ならぬ「主感」を一番に考

えることだと思うんだ。

つまり、人がなんと言おうと、自分

はこれが楽しいんだって思いを

大事にするんだよ。

自分がいいなって思って楽しかった

のに、お友達から

「それは~だからだめだよ」

とか、

「そんなのよりこっちのほうがもっと

いいよ」

とか言われたとき、どんな気持ちに

なった?

せっかく楽しかった気持ちが台無し

になるでしょ? 大切なはずの楽し

い気持ちが。

そんなときにきみ自身の「主感」を

大切にするとね、

「いや、ぼくはこれのここが大好き

だからこれでいいんだよ v(^_^)」

って言えるかもしれないでしょ?

おじちゃんも神様じゃないから

つい主感を人に押し付けてしまう

ことがあると思うけれど、そんな

ときはおじちゃんの言葉は気にし

ないで、きみの主感をしっかりもっ

ておくれ。

人の主感に惑わされず、自分が

「これ、いいなーっ!!(^0^)/ 」

って思える楽しさを守ってあげる

んだ。

 

おじちゃんは今まで、テニスや

スキー、車や仕事に没頭したり、

ラジコン、オーディオ、もちろん

鉄道模型なんかを趣味にしたり、

最近では園芸(花)やラム酒も

大好きです。

これらがあったから、また、あるから

生きてこられたと言っても言いすぎ

じゃないって感じます。

でも、みんな見かけは違っているようだ

けれど、実はそれぞれに共通した

「楽しい気持ち」がその半分を、いや

自分の全てを支えてくれたのだと

今さらながら思うのです。

そしてこの気持ちを作ってくれる

立役者が五感なのだなー、と。