きびだんごたち。

今日もここを訪れていただいて

本当にありがとうございます。

 

今まで自分がここでお話してきました

ように、自分はどうもメカニカルなものが

好きなようです。もちろん、種々の機能を

持ったメカが集合して大きな機能を成し遂げる

その全体の姿も言葉で表せぬ感じで

大好きです。

 

けれども、私がアメリカの鉄道に魅力を

感じるところはただそれだけではどうも

ないようなのです。

これは以前に何回かどこかで呟いた

ように憶えていますが。

 

かつてはアメリカ国内にまるで

日本の戦国時代のごとく、各地の私鉄が

群雄割拠し互いにしのぎを削っていました。

自分がなんとなく気になるというか

感じたいと感じている?ものは

それらの私鉄のトップ、つまり

創業者たちです。 もっと言えば

そのたくさんの創業者たちが

腰にぶら下げていたものが

少し気になるのです。

 

「えっ? 腰にぶらさげてたもの・・・

ってどういうことなん?

ゆーてることがよーわからへんわ。」

 

まぁまぁ、最後まで聞いてくれたら

きっとわかるさ。

 

今さら自分が改めてここで

お話しするまでもなく、皆、その

人生の歩みの中で様々な出会いを

経験しますよね。

そして、書物やTVドラマほど

ドラマティックではなくとも

その出会いの中に相手の

内面にあるものを感じることが

あります。 もちろんそれは

いつもではないわけですが。

 

そして、書物やTVドラマに限らず

舞台や映画、種々の演劇においても、

そこに感銘を受けたり、強く共感

する出会いが、ストーリーの軸や

核となっていることは少なくありません。

さらには、相手の中にある「それ」が求める

先に自然に一緒についてゆく・・・、

或いは自らそこに惚れ込んで協力者と

なってゆく・・・、とてもとても自然な

流れに乗って・・・、何かに導かれるがごとく。

 

先日、ふっ・・・、と突然思いました。

桃太郎の昔話はそういうことかっ!

と。

 

「えーーー、どうゆうことー?

よーわからへんねけど・・・。」

 

あー、それを全て説明すると

何か無粋な気もするけれど、

ま、いいか。

 

あのね、

例えば君は、犬なのだよ。

そして桃太郎に出会う。

知っての通りお話では

計3種3回の出会いがあるわけだ。

でも共通点があるでしょ?

皆、共通して自ら欲しがったものが

あるでしょ? きびだんご・・・。

そしてそれをもらえた彼らは

命を張って共に一つの目標に向かって

力を合わせる。 桃太郎も含め

彼らを結束させていたもの・・・、

それがきびだんご・・・。

 

一つの目標を成し遂げた後、

恐らく桃太郎は次の目標を

持っていたことでしょう。

そしてそれが成し遂げられると

また次へ。 で、その度ごとに

きびだんごが放つものが

研ぎ澄まされ強くなってゆく。

それを感じられる者にとっては、

目では見えないのだけれども

眩しいくらいだったことでしょう。

 

「じゃー、鬼退治の後も

彼らは同じように桃太郎に

ずっとついていったん?」

 

それはおじちゃんにはわからないし、

桃太郎のお話の続編なんかも

少なくとも一般には知られて

いないからね。

でも、おじちゃんはかなり

確からしく感じるのだよ。

きっと彼らは永遠について行くって。

桃太郎がきびだんごを

失くしてしまったり、捨てたり

しない限りはね・・・。

 

「あれっ、それが鉄道の話と

何の関係があるの?」

 

多分ね、当時の創業者たちは皆、

様々な輝きのそれをもっていたはず

だと思うんだよ。 もちろん、自分には

もう本当のそれを知る術はないよ。

でも、 その路線や車両たちの

選択、ペイントスキーム、壁を

前にした時の戦略、その変遷・・・。

つまり、彼らのそれを基にした行動の

軌跡に、それの残光を感じたい、

そういうことなのかもしれないね。

 

「わー、なんかよーわからへんけど、

おじちゃんはなんやけったいなこと

考えてるなー、ふふっ」

 

ははは、わかるよ、それでふつうだよ。

ほらほら、もう遅いから寝てきなさい。

 

「はーい、

けど、手足を動かしてるんは

脳みそやけど、脳みそを

動かしてるんはそれなんやねー、

おじちゃん!」

 

なんとなくわかってるんだね、きみは、

偉い偉い! はははー。

 

「ほな、ニョンニョンしてくるわ。」

 

あいよー。 安心してぐっすりと

寝てきなね。

 

それでは、みなさんまた次回まで

さようなら(^0^)/