心のレール。

父の具合が芳しくありません。

私の原点である103系。

私の原点である103系。

以前にもお話したことのある父に買ってもらった

103系カナリアイエロー。 関水金属(現カトー)

が日本のNゲージをおもちゃから鉄道模型に

塗り替えた製品かもしれませんね。

大阪で育ったこともある父は大阪環状線色を

選んで欲しかったのかもしれません。どうしても

自分は黄色が欲しいと言い張ったような記憶が

かすかに残っています。

おもちゃではない鉄道模型の扱い方を

それとなく教えてくれたような…。

鉄道模型以外のことではひどく威圧的で

距離を感じていたし、怖くてまともに話かける

ことさえできませんでした。 けれども鉄道模型を

ともに楽しんでいるときの父は少し違いました。

そんなときにしか殆ど感じることのできなかった

体温のような人肌のような囲まれ感とでも

いうのでしょうか。 仕事上、また親としての

責任感から身に着けていた重く分厚い鎧を脱いだ

彼本来の姿だったのかもしれません。

けれどもやはり思春期にはそんな恐怖政治

のような抑圧に耐えきれず、就職先の条件は

東京本社であることでした。 自分でも理由は

よくわかりませんでしたが、とにかく関西圏から

脱出したかったのです。 親の敷いたレール

から離れようともがいたのかもしれません。

 

しかしその22年後、自分はぼろ布のように

変わり果てた姿で失意のうちに退職することに

なりました。 送別会などへの出席など

できようはずもないなんとも悲惨にしか

見えようのない会社生活との別れでした。

会社組織を途中で離れればそれは人生の

終わりであるという洗脳されたような錯覚

から人間としての本来の正気に戻るのに

何年かかったことでしょうか。

つかまる物など何もなくただただ落下し続ける

暗闇の中で、あるときうっすらと自分を

支えてくれているものに気が付きました。

あれだけ離れたくて遠ざかりたくて仕方の

なかった、 あれからもう途切れて消えた

と思っていたレール…。

暗闇からなんとなく外へとつながっているように

感じられるそのレール。

自分さえ気が付かないうちに、気が付いた時には

足元にもうそのレールはありました。あるように

感じられたのです。

けれどもこのレールは以前のレールとは違う。

威圧的に敷設されたレールではなく、

両親さえもまるで自覚のない見えないレール。

存在を感じさせないでもなぜか人間味を感じ

られるレールなのです。

このレールがどこにつながっているのか、

果たして信用していいレールなのか、

自分にはわかりません。 もしかすると

すぐ先で行き止まりか断線しているかもしれません。

けれども今の自分には外へつながっていると

感じられるレールは唯一これだけなのです。

スピードも出せませんし、むしろぎくしゃくしていますが、

どこにあるかもわからない終点まで行ってみようと

思います。 もう、決して独力でそのレールの先を

切り開き頑張って敷設して行こうなどとは思いません。

私はただ「想い」という羅針盤だけを頼りに

車輪を動かし続けるだけです。

このレールには「想い」以外の駆動力は

似合わないような気がするのです。

そして、その終点にはなんだか鎧を脱いだ

父が待っていてくれるような気がするのです。