自分がいつも大変お世話になっている某鉄道模型雑誌の
広告部スタッフの方がいらっしゃいます。
その方に先日、大変残念なお知らせをすることとなって
しまいました。 日本におけるアメリカ型の鉄道模型ファンは
まだまだ非常な少数派です。 残念ながらこのメジャーな
雑誌でさえアメリカ型の記事を掲載するのには相当な
覚悟がまだ必要なのだそうです。 弊社広告も幾度か掲載
させていただいたのですが、アメリカ型ファンの方々の
目に留まることは少ないと判断いたしました。
アメリカ型の魅力とはいったい何なのでしょう?
もし自分がアメリカ型鉄道模型の専門誌を発刊すること
になったら、この質問への答えを基礎にして読者に
アピールしていかなければならないことでしょう。
けれども、少なくとも今の自分はこの質問に対して
具体的な答えをすることができません。
あえて言うなら、「好きなものに理由はない。」という
ありきたりな返答になってしまいます。
よく聞くのが、アメリカ型のスケールの違いに関する
答えです。 例えば貨物列車で言えば日本では
考えられない両数の貨物車を何キロにもわたって
連結した超ロング貨物列車などがしばしば引き合いに
出されます。 けれども私自身はどうもそのようなところに
魅力を感じているふうではありません。 もちろん、魅力を
感じるポイントというものは人によって様々でいいわけで、
それに対して批判をするつもりは毛頭ありません。
ただ、アメリカ型の魅力の第一ポイントにその答えがくると、
私自身は少し悲しい気持ちになるのです。 ディズニーランドの
魅力について聞かれて、「開門前の正門に並ぶ人々の
その数の多さです」と返答されているような気持ちになります。
ただ、人それぞれ出会いのきっかけというものは多種多様です。
何か1つでもそこに魅力を感じていただけて、それをきっかけに
そこからご自分の想いに従って扉を開いていっていただけることを
心から願って止みません。
アメリカの鉄道は19世紀、大陸に渡った人々の開拓精神の
表われとして発展していったような気がします。 当時は
鉄道会社を経営することは最先端の起業であり、夢と野心
が共存していた大変魅力のある事業であったことでしょう。
アメリカ全土の各地で志をもった実力者や大物たちが競って
鉄道会社を立ち上げてゆきました。 その数はゆうに100を
超えます。 各地に乱立した大小さまざまな鉄道は、発展する
に従って当然お隣さんとぶつかり始めるわけです。 あるいは
もっともっと利益を上げたり、領土の征服欲に駆り立てられた社長も
必ずいたことでしょう。 そのような結果、鉄道網の発展は
イコール、国盗ゲーム、あるいは日本における戦国絵巻
そのもののように感じるのです。
アメリカ全土に勃興した独自の私鉄が存在する様は、日本における
国鉄やJRの各地の支線が全て独立した私鉄で形成されている
ようなものです。 そして、見かけはそのように見えても全く違うのが
その中身です。 大きな組織の一部として機能している支線とは
全く異なり、アメリカ全土の私鉄にはそれぞれ夢と野心を抱いた
経営者が存在し、線路の隅々にまでその彼らの想いが詰まって
いたのです。 そして、その想いは実際に線路上を走る車両たち
にもそのカラーリングやデザイン、列車名、編成、などとなって
現れてくるのです。 各鉄道会社の車両たちの姿はとりもなおさず
経営者たちのセンスそのものであり、心意気が形となって現れた
存在であると確信します。 自らの夢と野心を膨らませるために
各社はそれぞれの戦略によって導入する車両の種類、両数、
オプションや独自のデザインを決定して行きました。
そんな自由選択の中で、大きな失敗を犯した者は、自然に
淘汰されてゆきました。 そして、その成功と失敗の明暗を
分けていたものが、まさに時代の流れを読む自身のセンスのみ
であったわけです。 自分が頼れるものは自身の感性、センスのみ
です。 物資を大量運搬することがその主な役割であった鉄道が
やがて旅客運搬に変化して行き、さらにはそこに車両の進化という
なんとも運命的な時代の流れが複雑に絡んできます。 競い合ったのは
何も鉄道会社だけではなく、その車両を製造していたメーカーたちにとっても
それは真剣勝負でした。 蒸気からディーゼルへの時代の流れを
読み違えたメーカーは容赦なく失墜してゆきます。 そして、鉄道会社
、車両メーカーの両者に大きく立ちふさがった敵が自動車と航空機であった
わけです。 そんな大きな時代の流れの中で翻弄された多くの鉄道王たちの
まさに人生をかけた一大ロマンとでも言うべきアメリカの鉄道物語なのです。
そんな彼らのあふれ出る鉄道への情熱と執念、歓喜そして無念、悲嘆、など
様々な想いを載せた車両たち。 車両たち自身の性能も魅力的ですが
その裏に見え隠れする経営者の選択センスと戦略、そして何よりその想い
を感じるとき、アメリカ型鉄道模型たちはもう模型などという枠を超越している
と感じます。
アメリカ型の鉄道模型の真の魂を痛いほど感じられるのは、残念ながら、
自らの人生においてその辛酸を経験した熟年者の方々に限られるのかも
しれませんね。 同じ人間の人生への想いに国境はありませんから。
それではみなさん、また次回までさようなら(^0^)/