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その模型屋に行くときのお決まりのコースだ。
高速道路をしばらく走って京都東インターで
降りる。 京都には京都南インターもあるが、
東山三条に出るなら京都東で降りた方がずっ
と近い。
相変わらず隣の父親は無口だ。 家族で乗る
ときはいつも後ろの席だが、二人で模型屋に
行くときは助手席に座る。 少しだけ一人前に
なった気分だ。
本線から離れ、料金所に向かう短いトンネル
の手前に「エンジンブレーキテスト」と書いた
小さな看板がある。
「自分の車にはどこにエンジンブレーキがつい
ているのかと探す人がいるらしいよ。」
ここを通るとき、この話を何度きいただろう。
いや、実は一度だったかもしれないが、記憶
の中では何度も聞いた事になっている。
運転席の窓を開けて、手のひらより大きな通行
券を片手で差し出す姿がなんとなくかっこよく
見えた。
料金所を後にすると、あとは直進する。 左に
曲がってゆくと山科の新幹線沿いを通って五条
に抜けることができるが、岡崎に出るにはまっ
すぐだ。
車が多いが道幅が広いのですいすいと進む。
だが、右手に薬科大学を見てしばらくすると状況
が少し変わる。
御陵(みささぎ)から向こうは京阪電車が路面を
はしるのだ。 車も軌道内を走行できるので、渋
滞時になると電車の行く手を車列が塞ぐ。
電車からは独特の警笛が鳴り響くが、車列はびく
ともしないいつもの光景である。
日の岡を過ぎて九条山に差し掛かると電車が
一時専用軌道に戻る。 勾配とともに小さな急カ
ーブが続くこの峠では、車輪とレールがこすれ合
うような金属音を響かせながら2両編成の身体を
くねらせて心地よい速度で走り抜けてゆく。
軌道は峠道と並走しているのでタイミングがよけ
ればこんな光景をずっと楽しむことができた。
左に蹴上の浄水場が見えると峠も終わり、再び
軌道が路面に戻ってくる。 4本のレールととも
にゆるやかなカーブを描いて左へ逸れてゆけば
そこが三条通りになる。 見上げれば壁のように
そびえ立つホテルと、右には蹴上の島状駅で電
車を待つ人々。 もうすぐ目的地の東山通りだ。
いつもの模型屋は、東山三条を少し下ったとこ
ろにある。 駐車場はない。 店の真ん前に車を
止めると、さほど大きくない車体でもほぼ全体が
隠れてしまいそうになる小さな模型屋だ。
以前はここにも市電が通っていたと父親が話し
ていたような気がする。
まとわりつくような熱気を顔で感じながら車から
降りると、いつもの古ぼけたショーウィンドーに
いつもの展示物が見える。
その両側に、きしみそうに見えて実は軽く転がる
色あせた引き戸の出入り口がある。
今日の自分の目的は、先頃新発売になった
大好きな181系だ。 独特のボンネット形状
と高い位置にある見晴らしの良さそうな運転
席が大のお気に入りである。
父親が毎月読んでいる鉄道模型雑誌を見て
自分なりに編成を考えてきたが、高くてどうし
ても1編成にならない。 そんな状況を知って
か知らずか、お店に入る直前に父親が無言
で援助をしてくれた。
いや、何か言ったのかもしれないが覚えてい
ない。 うれしさと共に、頭の中がどの車両を
追加するかで興奮してしまったからだろう。
父親の後を、両肩に当たらないよう注意しなが
ら積み上げられたプラモデルの山の間を通って
ゆく。
数歩進むとすぐに店主の立つカウンターにたど
り着く。 他に客はいない。 いたらお店に入れ
なかっただろう。
父親が店主と話をしている間、自分は注文する
車両の形式を一生懸命頭で復唱した。 間違え
ると予算が足らなくなるかもしれないので真剣だ。
自分が買う編成が店主に変だと言われやしない
か、もう人気で売り切れているのでないか。
ちょっと不安になり緊張がはしる。
注文するときが来た。 あー、やっぱりすらすらと
言えないではないか。 あんなに頭で練習したの
に。 恥ずかしさともどかしさで顔が赤くなってい
ることが自分でもわかるくらいだ。
その後のことは、ズボンから財布を取り出す感触
以外覚えていない。 気が付くと、透明ケースが
縦に積まれた紙袋をもって車に乗っていた。
紙袋の上からL特急の肌色に赤いラインを何度も
ちらちらと見てしまう。
隣の父親はやっぱり何もしゃべらない。
けれど、この静寂を一度も不快に感じたことは
ないし、むしろこころはほんのりと温かい。
ガタガタと軌道をまたぐ振動を感じながら、目の
前にインクラインが見えるともう帰り道だ。
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コメントをいただきましてありがとうございます。
おっしゃる通り、80形と260形がこの頃の京津線の主役でした。
何のご縁かこの後、私はこれらを通学の足とすることとなりました。
路線跡を通るたびに私の耳にはあの警笛音、運転士の指差呼称やスロ
ットルを回す音が幻聴のように蘇ります。
阪神国道線に限らず、60~70年代は各地で路面電車や小規模鉄道
が姿を消していったのではないでしょうか。 海外からの大量の観光
客や昭和を懐かしむ傾向のある今の時代、一部でも残っていれば貴重な
観光資源にもなり得たのかもしれませんね。
当時、私自身もインクラインの歴史や目的は知らないまま光景だけが
頭に刻まれていました。 蹴上から動物園の方へ降りていきますと、
インクラインの終端付近に船を乗せた台車がまだありました。
阪神間にお住まいで京津線やインクラインのことをすごくよくご存知
で嬉しくなりました。
TMSは父親が毎号読んでいましたのでいつのころからか自分も愛読
していました。 広告欄はあまり見ていませんでしたが・・・/(^-^;
このころの京津線には260形の準急や80形の四宮行きが走ってましたでしょうか。
阪神国道線には間に合わなかった世代故、
阪神間に住んでいた小生には憧れの情景で何度か足を運びました。
蹴上で降りてインクラインの異様に広い軌道幅を見て「これなんやろう?」と...
模型屋さんはTMSに昔から広告が出ているところですね。
最近、TMSの広告がどんどん少なくなっているのが気になるところです。