日本に渡ったアメリカ製蒸気機関車

本日も

ケンズレールロードに

お越しいただきまして

ありがとうございます。

 

さて、皆さんご存知の通り、

先日、現アメリカ大統領が

数日間の滞在で

来日しました。

政治的、軍事的な事象に限らず

観光面も含め、

何かと深い交流のある国で

あることは

誰しもが認めるところでしょう。

現在の日本にとって、

アメリカの鉄道産業は、

もはや

お手本では

ないかもしれませんが、

かつては

日本が大変お世話になった

大先輩でした。

新橋、横浜間で

日本で初めて

鉄道事業が

開始されたのが1872年です。

アメリカではその前年に、

北米北東部で

鉄道網を運営していた

鉄道3社

(ニューヨーク&ハドソンリバー鉄道、

ニューヨーク&ハーレム鉄道、

ニューヨーク&ニューへイブン鉄道)

が、

グランドセントラルデポー

(Grand Central Depo)と

呼ばれる大きな共用ステーション(駅)を

開業しています。

このステーションが、

現在の

グランドセントラルターミナル

(移転開業1913年)の

始まりと言われています。

 

20世紀に入っても

日本は、

鉄道車両の製造技術など

アメリカに

肩を並べるところまでは

なかなか追いつけません。

そんな事情とは関係なく

日本国内では

鉄道産業の進展と共に

蒸気機関のより大きなパワーを

必要とする状況が

各所で発生することになります。

その結果、

1900年代初頭、

国内技術では

製造が困難な

より大きな出力をもつ

蒸気機関車を

海外に求める動きが

ありました。

 

「ぼくのしってる

アメリカの蒸気機関車ゆーたら

ボールドウィン1号やな。」

 

おー、

よく知ってるねー(^-^)

 

木曽森林鉄道で

1914年に導入された

ボ(ー)ルドウィン製0-4-2

です。

2014年には、

現地で100周年記念祭も

開催されたようですね。

かわいい外観の

小柄なボディながら

大変愛された

力持ちでした。

ボールドウィン1号は、

いわゆるロギングロコモーティブ

と呼ばれる森林鉄道車両で、

0-4-2型は、北米でも

数多く製造され

各地で大活躍しました。

ナローゲージをはじめ

日本でも

ボールドウィン1号の鉄道模型は

お馴染みですね。

 

「1号ということは

これが日本で第一号の

アメリカ製ゆうことなん?」

 

実は、

ボールドウィン1号が

最初じゃないんだよ。

 

少し調べてみますと、

この3年前の

1911年に

マレータイプの

アルコ製0-4-4-0が

輸入されていて

クラス4600として

#4600~#4605までの

機番を与えられました。

聞くところによりますと、

当時のアメリカのビルダー(製造会社)は、

慣例的に

発注数量の最小単位を

半ダース(6両)としていたそうです。

ですので、

#4600~#4605は全6両で、

最小の発注量ということに

なります。

 

そして、翌1912年には

同じくマレー型の0-6-6-0が

3社から輸入されことは

よく知られているかも

知れませんね。

この0-6-6-0は、

「Old Maude(オールドモード)」

というニックネームをもち

最古参のB&O鉄道が

1900年前後に

運用を開始したようです。

日本が選択した

海外の3社とは、

アメリカのご存知アルコ社

(Alco: American Locomotive Company)、

同じくボ(-)ルドウィン社、

(Baldwin: Baldwin Locomotive Works)

そして、

ドイツのヘンシェル&サン社

(Henschel & Son(Sohn))です。

日本では、それぞれ

9750型(Class9750)、9800型(Class9800)、

9850型(Class9850)

となりました。

マイクロエース製Nゲージの9800型(左)と8200型(右)。

写真左が、

いかにもアメリカ製という

風合いのクラス9800です。

もちろん、

日本の狭軌3フィート6インチに

合わせて製造されました。

日本製のNゲージは

縮尺が150分の1(ボディのみ)

であるため

大きく見えますが、

アメリカ型と同縮尺にして

2-8-8-2マレー型などと

比較すると

日本の環境に合った

かなりコンパクトな

アティキュレート型

であることが

わかります。

 

他2社の0-6-6-0も

「9750 0-6-6-0」、

「Henschel 0-6-6-0」

などで画像検索していただくと

その外観がご覧になれます。

 

「ヘンシェルて

なんか聞いたことあるなぁ」

 

ドイツのヘンシェル&サン社は

19世紀に創業した

鉄道機関車製造会社ですが、

戦時中は、

戦車や航空機も製造した

重工業の大手です。

 

「むかし、プラモデルで作った

タイガーⅠ型戦車の

ヘンシェル砲塔は

有名やねー(^^)」

 

創始者は

1957年に亡くなり、

その後、何度も紆余曲折を

重ねますが、

今現在も「ヘンシェル」を社名に

大型ギヤ関連の製品などで

名を馳せています。

 

実は、私自身も

会社時代に、

社内にある同社製

超大型重量級攪拌機を

見学したことがあります。

仲間内では、理由もわからず

この装置のことを

「ヘンシェル」

と呼んでいましたが、

創業が

蒸気機関車メーカーであったことを

当時は

知りませんでした。

 

「子供のときとか、

わかいときに

べつべつにおぼえてたことが

大人になって

つながるゆーことが

よーあるやんなー、おじちゃん! (^o^)」

 

そうだねー、

きっと何千年も生きたら

全てのことがつながって

一つだけに

なっちゃうのかもねー(^^

 

「そやえど、

上の写真の右のやつ、

プレートに”C52”て

かいたーるけど

日本製なん?」

 

C52はね、

アメリカから導入の2年後に

改称された名前でね、

元は、

1926年(大正15年)に

アルコ社から導入した

8200型(Class8200)

4-6-2パシフィックなんだよ。

写真は、

マイクロエース製Nゲージで

ケースの裏書には

同機が搭載している

フィードウォーター・ヒーター

(給水温め器)についても

解説がなされています。

テンダーから

配管でボイラーに

フィードされる水は

途中、このヒーターによって

温められてから

ボイラーに入ります。

全て蒸気機関車が

この装置を

搭載しているわけでは

ありませんが

蒸気機関車の

魅力的な外観を作っている

機器の一つとも言えますね。

このフィードウォーター・ヒーターには

機構の違いから

ワージントン式(Worthington)の

オープンタイプと、

エレスコ式(Elesco:

Locomotive Superheater Company)や

コッフィン式(Coffin)の

クローズドタイプがあります。

両者は

外観が異なりますが、

煙突前のスモークボックス上には、

どちらのタイプも見かけます。

写真の8200型の

煙突前には

エレスコ式が

のっていますね。

スモークボックス前(扉下)に

よく見るのは

エレスコ式で、

機体側面のエアポンプの

近所によくあるのは

ワージントン式です。

これらの機器は

エネルギー効率や

ボイラーへのストレス軽減を

目的に開発された

当時のアメリカでは

熟成された最新技術でした。

それらが

そのまま海を渡ったことは

非常に興味深いですね。

 

「その頃の

アメリカは

どんなんやったん?」

 

この1926年頃、

実は、アメリカでは

この4-6-2パシフィックタイプの

パワー不足が

深刻化していたんだよ。

 

激増する

旅客に対応するため

牽引する客車数を

増やしたいにも

蒸気機関車(パシフィック)の

出力限界により

12両が最大であったと言われます。

そこで、

当時、最強といわれた

ニューヨークセントラル鉄道が

ビルダー(製造会社)を巻き込んで

4-6-4ハドソンタイプの開発を

始めたのです。

そのタイミングが

ちょうどこの

1926年前後なのです。

 

「アメリカはすごいなー、

世界で一番ちゃうかなー(^-^)/」

 

いやいや、

そうとも言えないんだよ。

時代は変わり

1960年代。

そのアメリカが

当時国内では製造できない

より大きなパワーをもつ

ディーゼル機関車を

外国から導入したことが

あるんだよ。

 

そうです、

かの有名な

クラウス・マッファイ(Krauss-Maffei)製

「ML4000’C’C」です。

当時、

ロッキー山間部に

路線を多くもっていた

リオグランデ鉄道

(Denver & Rio Grande Western)と

サザンパシフィック鉄道などに

このドイツ製ハイパワーディーゼルは

導入されました。

ML4000には

マイバッハ(Maybach)製

V型16気筒エンジンが

2基搭載されていました。

そして、マイバッハと言えば、

先程登場した

戦時中の

タイガー戦車や

パンサー戦車などで、

世界にその高性能ぶりを

見せ付けた

老舗エンジンメーカーです。

 

「あー、

またつながったなー(^^」

 

はははー、

でもこの先

まだまだつながるよー(^^

 

実はこのクラウス・マッファイ社、

日本の鉄道とも

ご縁のある会社なのです。

 

「えー、

日本にもつながってるん?」

 

そう、

日本の鉄道につながるんだよー。

 

ML4000で

アメリカからラブコールを受けた

このクラウス・マッファイ(ドイツ)

という会社は、

1931年に、

クラウス社とJ.A.マッファイ社が

合併してできました。

時は大正元年(1912年)、

日本(鉄道院)は福島県の

急勾配路線(峠)への対応

として、

このJ.A.マッファイ社から

0-10-0タイプの4100型を

購入していたのです。

(右2両)マイクロエース製Nゲージとマイクロキャスト・ミズノ製HOゲージの4110型。 (左)サム(ン)ホンサ製HOゲージの4100型。

これをお手本に、

川崎造船所(現在の川崎重工業)で

製造された

国産0-10-0タイプが

4110型です。

 

「なんや

アメリカとドイツと

日本が

三つ巴で

つながってるやん(^o^)」

 

そうだねー、

これらの国々は

悲しい歴史の渦にも

翻弄されることになるけれど、

こうして、

鉄道を通して

深くつながってきたのだね。

 

機関車の出力にしろ

他の目的にしろ、

「目の前の問題を解決したい」

という強い思いをもったとき、

人は答えを求めて

より広い世界へ

目を向けるものなのですね。

 

「きっと

そういうことが

文明のエネルギー

なんやろーなー」

 

そうかもしれないねー。

かつて

一生懸命になった人たちの

熱い思いが

形になって表れたものとして

機関車を見ると、

また違った魅力を

感じたりするね(^_^)

 

それではみなさま、

また次回までさようなら(^0^)/